号外『中洲の忠霊塔』
紀北町東長島中洲に、この慰霊碑が建てられています。第二次世界大戦です亡くなられた方々の忠魂碑です。
僕が26歳か30歳の頃、この慰霊碑の横手に県土木事務所があり、夕方になると、酒とちょっとした干物を持って行き、まかないの女性に魚を焼いてもらい、その匂いで所長を呼び出すような感じでいろいろな事業の話を聞いたものでした。
あの楽しかった団らんは、今も鮮明に思いだされます。そんなこともあり、久々に中洲地区を回っていると、数ヶ月前には車の止め場も無いほど生い茂っていた草が綺麗に!本当に綺麗になっていて驚きました。
遺族会の方々がやってくださったのかな?と思い、近所の方に聞いてみると、昔は年に一度、鎮魂祭をやっていた頃は、役場がやってくれていたそうですが、合併後、戦没者慰霊祭が体育館で行われるようになり、草刈は自治会の有志の方がやってくださっているとの事です。
この400余命の鎮魂碑には、長島・東長島・三浦・赤羽と、旧紀伊長島地域の御霊がお祭りされているのです。慰霊塔やその周りに植樹されている木々(桜を含め御霊の霊に安らいで頂く為の木々)は、福祉課が管理させていただき、広場については都市公園指定(ホテル季の座と同じ)を受けているので建設課の管理となっています。昔、遺族の方が(わが子を亡くされた親御さん)仕事を終えてから。また夜の眠れない時に、わが子に会いに来ていた場所なのです。
遺族の方々も高齢化され、お亡くなりになられた方もいらっしゃいます。ホテル季の座と同じにとは願いませんが、せめて高齢化された方々がわが子に花をたむけに来れるだけの灯りがあってもバチが当たらないと思いませんか?



